有限と無限の間

真の生きる道を模索中。

我、休職中につき その4

数か月前のことを書いておりますが、読み返してみても自分の混乱ぶり、悲しさ、虚しさがよくわかります。でも、時系列で書くことで自分のなかで整理されていくのだなと思います。

本当は死産の流れも書いていきたいのですが、まだまだ書きだすことができません。

書くだけで、話すだけで泣きそうに(てか、泣く)なるのでまだ時間が必要なようです。でもいつか書く、てか書かねば。。(生きねば。。by風立ちぬ ふうにお願いします)

 

yaniyo.hatenablog.com

 

 

本編ここから●■●■●■●■●☟

 

病院の診断書は先生がささ~と書いてくださいました。

こ、こんなに簡単なことなのか。。と初めての診断書に驚きがかくせません。病名は心身症とのことでした。てっきりうつ病と書かれるのかと思ったけれど、心身症なのかと少し驚きましたが、そんなところを突っ込む元気もないのでその書類をその日のうちに会社にファックスしました。てっきり郵送するのかと思っていたら会社よりファックスで早く遅れと言われました。

診断書を送ることで、上司は伝家の宝刀を確認することができ、ようやく上司はゆっくり休養を取ってくださいねと私に言いました。大丈夫?何かあったの?ってセリフが今まで一言もなかったけれど、そういう人を安心させる言葉をやっとこのおっさんは言いました。

私はこの上司(おっさん)もいろいろ不安なんだろうなぁと思いました。それは私のことが不安なのでなく、彼自身のことが自分で不安で不安で仕様がないのだと気が付きました。というのも知り合いよりこの上司が精神的な病を持っていると聞いていたのと、1回だけ面談した時に直感的に精神病んでるなこの人と感じたからです。

 

みんな生きてるだけで大変よね。。。。

 

人のこと(おっさん)を気にしている余裕など、砂粒ひとつも残っていない私は次の日から自分のことを考え休むことになりました。

不思議なもので休めると分かった時から、あんだけずーっと休むことなく痛かった体が少し楽になりました。私はどんだけ無理したたんだろうか。

先生によるととにかく脳が疲れているので、たくさんたくさん眠りなさいと言われました。お薬も処方されそれを飲み、とにかく眠ることに専念することになりました。

 

すると、あら不思議、体が少しずつではありますが楽になっていきました。

相変わらず子供を思って泣くことも多かったし、夫にいきなり怒り出すこともありましたが、働いていたころよりはだんだんと落ち着きを戻してきました。

まず、夫がみるからに安心した表情をするようになりました。やはり家にいているれると安心のようでした。会社の帰りに毎日泣きながら帰っていた私を夫はかなり心配しており、突発的に電車に飛び込んだらどうしようと思っていたようです。

それを聞いたとき、何を大げさなと言えない自分がいました。あれ?バレてたよ!!

死産した日から私は死にたくて死にたくてしかたがありませんでした。死んだら子供に会える。今の苦しさから開放されると考えてました。口には出していなかったけど、どうやらそんな私のことを夫も友達も気づいていたみたいです。(すごいなぁ)

 

しかし、まぁ、そんな心理状態の人間が働いちゃいけないってことなんですよね、冷静に考えてみると。

なので、辛い思いをされてる方!!!休もう。とりあえず、休もう。

これ大事。