有限と無限の間

真の生きる道を模索中。

喪失の5段階 続き

前回『喪失の5段階』を大学で学び、自分なりの解釈で文章にしてみました。

 こちらがそのブログです。よろしければ読んでみてください。

yaniyo.hatenablog.com

 

また前回より時が経ってしまっておりますが、今回はこの続きというか補足です。

大事な方を亡くされた喪失感はどのようにして受けいられていくか、1段階から5段階までお伝えしましたけれど、人それぞれ受け入れの流れは違います。

本当にひとそれぞれです。

 

1から5まで簡単に進むわけでもないし、4までいったと思ったらまた2に戻ったよ!!なんてことは普通におきます。

私も5の受容までいったなぁなんて思っていたら、夜中急に思い出して2の怒りに逆戻りして、怒りで泣き出すなんてこと今でもよくあることです。

 

心療内科の先生、大学の先生も仰ってましたが、この流れを行ったり来たりしながら受け容れていくようです。また、この喪失の5段階ですが、無理やり心をこの流れにもっていく必要はありません。こんなものもあるんだなぁ程度でいいと思います。

 

ただ、自分の気持ちに我慢することは止めたほうがいいと思います。

 

湧き上がる悲しみとか、怒りとか、涙とか、悔しさとか、沢山たくさん沸いてくると思います。逆に、悲しすぎて何も感じられなくなってくる場合もあるかと思います。

けれど、家族が友達が大切な人が心配するからとか、こんな怒りを持つなんて人としてどうかしてるなど思い悩んでしまって、自分の心に蓋をすることはお勧めいたしません。

 

だって、悲しいんだもの。

苦しいのだもの。

 

ご自分の気持ちを素直に受け入れることが、喪失感を受け入れ、ご自分で立っていられるようになる第一歩なんじゃないかなぁと思います。

 

大体、そんなすぐ立ち直れるわけないじゃない、って思ってていいと思うのです。

私も何度も母親に早く元気になってくれと言われましたけれど、これほど辛い言葉はなかったです。

だって、元気ないんだもの。

元気のげの字もないんだもの。

0から何を生み出せはいいんだよと思ったもんですね。

それと、心は闇で真っ黒になりました。私の場合、友達がやたらと死産した年に無事出産していたので、いやぁ憎くてしょうがなかったですね。

だって自分が泣きながら諦めたものが、さも簡単に手に入っている(ようにみえる)から。

己の醜さをとてもよく知りましたが、これもまぁ、私が立っていられる源なんだと思うようになったらなんだか心が少し楽になりました。

 

自分の心を守るために、怒り、嫉み、醜さも必要なんだなぁと思ってます。

あ、それで相手に暴言吐いたりなんかはしてないよ!!

連絡を絶ったりはしたけど。

 

 

では、今回はこのへんで。