有限と無限の間

真の生きる道を模索中。

死産してからの人との付き合いの変化

私は元々人見知りをする人間でありましたが、それなりの交友関係がありました。
SMS、facebookもマメな方ではありませんが、日々の何気ないことを時々投稿しておりました。
ラインも友達は少ないけど、便利なツールとして使用していました。
妊娠がわかった時は夫と親以外には伝えておらず、安定期に入ったら仲の良い友達には電話か会ったときにでも伝えようかなぁなんて思ってました。


しかし、死産してからの私は外も出れず、人とも話せず家に閉じこもっていました。
外出すると、幸せそうな妊婦さんと元気な赤ちゃんと家族に遭遇します。
それを見るのがとても辛かった。

facebookももちろん見ることも、自分の投稿もできなくなりました。
子供の成長を投稿している友達が多く、それを見るのがとても辛かった。
死産しているため、悲しみの渦にいるのでまず投稿する気も起きないけど、不幸すぎて書くこともありません。


ラインもできなくなりました。
前にも記載したのですが、私が死産した年は何故か出産する友達が多くて、妊娠の経過や出産の報告を読むのがとても辛かった。

妊娠、出産のおめでたい話がSNS、ラインを通して友達から報告される度に、私は悲しくて悲しくて号泣していました。
なんで自分は同じことができないんだろうか。
何か悪いことをしてたのだろうか。
これは罰なのだろうかと。
そして、どうしてもおめでとうって言えない。
そんな自分がとてもとても醜く思ってました。

号泣する私をみて夫からもうfacebookもラインも止めてしまいなさいと言われました。
どうして自ら悲しい思いをするのかと言われ、私は素直にfacebookもラインも見ないことにしました。
見なくても投稿があるとお知らせが来るので、facebookもラインもアインストールしました。
この時は精神的にもおかしくなってて、思考停止状態であったため、「そんなせっかくみんな連絡してくれてるのに」とかあほなこと言ってました。


最初の頃は連絡を返していないことが悪くて、罪悪感がありましたけれど、暫くすると心も体も少し軽くなってきました。
というか、むしろfacebookもラインやならくても何ら困らなくない?ということに気づかされました。
私は本当に仲の良い定期的に会う友達とはラインもfacebookもしていなかったのです。
ラインで2人だけ連絡を取っていましたが、ラインしていると辛いと伝えると友達は見ない方がいいよとメールに連絡方法を変えてくれました。
死産の手術をする前も後も、子供の病気の事情や私の心情を何でも話し、聞いてくれたのはこの数名の友達でした。


また暫くすると、SNSやラインの存在が私の中で薄いものになってきました。

そしてふと気づいたのです。

あれ?もしかして私って大切にする友達の優先順位間違ってなかった?!

リアルに付き合ってる友達は傷心の私の心に寄り添ってくれていた。ただ話を聞いてくれて、一緒に泣いてくれた。『元気ださないと天国の子供が泣いてるよ』とか検討違いな慰めをしてこない思慮深い友達がいる。
なのになんでfacebookとかライン内の深い話をするわけでもないうわべだけの友達の事気にしてるんだろう。そんで真面目に連絡しなくちゃと思って、号泣していたんだろう。。

私は大きな気づきを得ました。

私は基本、根が真面目なタイプで、何か質問されたら真面目に答えるのが人としての礼儀だと思っていました。
連絡が来たら何がなんでも返さなくちゃと失礼にあたると考えてしまう頭の固い人間でもありました。
でも、子供を亡くしてこんなに辛いのにSNSの仲だけで付き合っているだけの友達にそんな義理通す意味あるんかい?と。
今は自分の悲しみに自分で向き合わないときない時期だし、何より自分を大切にしないといけないのに。


そして、私はある法則に気づいたのです。

私が死産していることを伝えていない友達から子供の話しをされたり、写真が送られて来ても、素直にかわいいねぇ大きくなったなと思える友達と、同じ内容でもメール消去したくなる友達に真っ二つに分かれることを。

そう、私、元々その「メールを消去したくなる友達」のこと好きじゃなかったのですね。
いや、本当に正直にいうと嫌いだった。

よくよく考えてみると、どうみても私に対して失礼な態度や言動があった友達であったんです。
でも過去のことだしと水に流さないととか、大人なんだし許さなきゃとか思って連絡取り合っていたのですが、心のなかのモヤモヤをずっと無視し続けていたのです。
それは八方美人でもある己の性格にも起因していることであり、いい人でなくちゃいけないという呪縛でもありました。
でも、そんなことする必要ないんですよね。
私は大切にしたい人だけ大切にしたいし、私の事大切にしてるれる人だけ大切にしたいのです。


友達の幸せが、妊娠、結婚、出産、出世、趣味、美人であるとか、なんとか色々素直におめでとうと思えない時期って正直あると思うのですよ。
私の場合死産した時がそうでした。
おめでとうって正直に思えなかった。なんだったら憎くてしかたなかった。
でもそれは、友達が無事子供を持てて、私が死産したからではない。元々私はその子が私にしてきた事を許してもいないし、その子のことが嫌いであったんだ。その子の赤ちゃんが憎い訳じゃなくて、友達が私に対してしてきた否定的な言動、失礼な行動が嫌で嫌でしかたなかったんだ。
だったら、そんな友達と疎遠にすることに罪悪感も持つ必要もなく、心置きなく距離を置けばいいのでないか。


ここに到達した私は、この「メールを消去したくなる友達」と無事距離を置き、心安らかになりました。



もし、他人のおめでたいことに素直におめでとうと思えない時、そんな自分なんてダメな汚い人間なんだろうと思っている方にお伝えしたい。
その友達元々あなたにとって本当に関係を続けたい大切にしたいお友達ですか?と。

もしかするとわだかまりは今ではなく、もっともっと過去の全く関係ないところにあったかもしれないよ!!


こんなところで今回は失礼致します。