好きなものを好きと言いたい
私はぶっちゃけますと、オタクでありまして腐女子でもある。
小さいころから漫画が大好きで、大好きで、勉強もせずに漫画ばっかり読んでいた。
小さいころから映画も好きで、好きな映画を何度も何度も本当に何度も観ており、
高校くらいから小説の面白さを知って、今度は小説を読みふけった。
そして変わらず好きな小説だと何度も何度も何度も読んでいた。
小学生の頃から詩を書くのが好きで、よく書いていた。
中学生になると小説を書き始めた。
高校になると漫画の描き方をお友達に教わって描くようになった。
それが、いつの頃だろう。
あんなに好きだった漫画もあまり読まず、映画館にも行かなくなり、小説もそんなに読まなくなってきてしまった。
詩も小説も漫画も書かなく(描かなく)なってしまった。
思い返してみると、
書いている内容に自信がなくなってしまったり(何故だ)
大人になるんだからそんなことしてちゃいけないって思いこんでいたんだと思う。(何故だ)
自分に自信がなかったんだろうと思う。
自信がない自分が何を書いたって駄目だろうって思ってた。
フリーターの時代や海外で過ごした時間が長くて、順当に大学を卒業して社会人になっている人より明らかに社会に出るのが遅く、そんな自分に焦っていたんだろう。
高校を卒業してから入った大学が合わなくてすぐ辞めてしまった自分に罰を与えたくて、自分は創作をして楽しみを味わっていい人間じゃないと決断してしまい、それを実行していたんだ。
苦しめば苦しむほどに、それは努力しているもんだと勘違いしてたんだ。
こう思うと自分のMっぷりが恐ろしいよ。。。
私はどうやら務めていた会社には馴染めなく、そしてそれらの会社からも好かれていなかった。
そうなのにそこに留まらなくては、私の人生は破綻すると思っていた。
けっこう大きな企業でもあったし、世間的には正社員でいることが幸せあるとあるから。
会社を辞めて、昔の私であったら、大学を辞めた時みたいに、また罰を与えていただろう。
でも、今回をそう思わなかった。
会社は何千もあるなかのひとつであり、それがすべての社会ではない。
社会の中のひとつにたまたま受け入れられなかったし、私も受け入れられなかった。
お互いLOSE‐LOSEの関係であった。
でも社会は、世界は広いんだから、私がいたいところにいていいし、こんな私でもいてもよいと言ってくれる世界があると今は信じている。
私は今はしがない無職の女であるのに、正社員をしていた頃より今の自分の方が好きだ。
なんだか可能性を感じられる。
どこにでも飛びだって行けそうな気さえする。
この自信はどこから来ているのだろう。
それは、
私は自分を許したからだと思う。
正社員を全うできなかった自分を。
何者にもなれない自分を
世間的に良いと言われるものを受け入れられない自分を。
この感情に達したら、
好きだったもの、いや、好きなものを好きと言いたくなってきた。
否定されてきたこともあるけど、やっぱり好きなものは好きなのだ。
だって楽しいんだもん。
でも今まで自分に何故か課してきたこと、好きなことを好きと言うと、否定される、変な顔される、そんなこと言っていい自分じゃないっていうのが自分の肩の辺りからにょろりと顔を出してくる。
だから、今ブログを書いたり、ツイッターで呟いて、自分を少しずつ開放している日々なのである。
ああ、気持ちいいなぁ。