有限と無限の間

真の生きる道を模索中。

1周忌とわたし

最後にブログを書いたのが6月で、今はもう12月です。

5か月経ってしまいました。。

時間が経つのは早いですね。

 

さて、休職を続けていた私ですがだんだん体も心も良くなってきておりました。

そう、5月の子供1周忌までは。

心療内科の先生には、1周忌を過ぎるとだいぶ楽になる場合があるよと言われておりました。まあ、しかしこれは本当に人によります。人それぞれ感じ方が違うので当たり前のことですが、さて、自分はどうなるかな?と思っておりました。

 

結果、、、、

 

めっちゃ落ち込んだ!!

持病の喘息の発作まで出て、何年かぶりに点滴のお世話になる形で1周忌を迎えることになってしまいました。

お医者さんには、あんまり思い出さない方がいいよとアドバイスを頂戴してましたが、1周忌の日は私にとって子供の誕生日でもあります。死産として生まれてきても。

なので大切な子供を思ってやれるだけのことをやりたかったのです。

誕生日ケーキも頼んでみたり、妊娠中私が好んで食べていたものはたぶん子供も好きであっただろうと想定して夫と食事をしたり。

普通に生れてきた子と同じことをしてやりたかった。例えそれが自分よがりでも。

 

当日は実の母からメールが来ませんでした。

ほっとしました。

まだまだ子供の死を認めたくない私としては、1周忌という言葉を他人から聞くのが辛かったんですよね。だってこちらは誕生日設定でやってますから。

それを知らない母から翌日メールが届きました。

ドキドキして開けると、

「メールする気はなかったのだけど、やっぱりしてしまいました。子供の1周忌ですね。お母さんも涙が出てきます。」みたいな内容でした。

そしてとどめの「早く元気になってね。」と締めくくられていたと思います。

もう脳にどかんと圧がきました。

こんな私に早く元気になれというほどきついものはないのです。

だって元気じゃないんだもの。

母は良かれと思ってやってくれているのは分かるのですが、感情が追いつかない。

私は堰を切るように感情が爆発して泣き出してしまいました。

嗚呼、私の子供はやっぱり死んじゃったんだ。いなくなってしまったんだ。私の傍から。夫といるといつもそばにいるかのように話しているけど、やっぱりよそからみたら死んでいるものなんだ。

その事実を向き合うのはとてもとても辛かった。実の母からのその事実の提示がとっても辛かった。

そして母が泣くほど辛いことを、私のせいで、私が死産したせいで起こっているってものまた辛い。

母とは色々あるけど、やっぱり笑顔でいてほしいもの。そんな母を悲しませる、子供を死産させてしまうダメな自分。なんてどうしようもなく、ひどくて、ダメな人間なんだろうと。

 

そんな感情大爆発、自己嫌悪大爆発の1周忌のあと、私は病院で点滴して1週間以上寝込むかたちで5月を終えてしまいました。